小さなコツコツ脱獄日記

人格という牢獄からの脱出の試み。僕は影とのパントマイムから生還できるのか。1人相撲の試行錯誤の日々を綴りながら、自分自身の成長を暗中模索していきます。小さなことだけ、コツコツと。

まともな人は、他人は馬鹿ばかりと思ってる?

くだらない表層だけの会話

くだらない愚痴

などなど

 

もし、僕が誰かと雑談しているのを

あなたが聞いたとして。

こんな感想を持つかもしれない。

 

僕も他人に、そう思うことがよくある。

 

他人なんて、基本的には、

その人の表層にしか触れることはできない。

 

だから、

 

他人なんて、馬鹿ばかり。

他人なんて、馬鹿ばかり。

 

他人の人生は楽そうでいいな。

他人の人生は楽そうでいいな。

 

こういう気持ち

とても大切なのかもしれない。

 

人間は表面的な認識から

逃れることはできない。

表面的に認識するという機能を

仕組みとして持っているみたいだから。

 

だからまずは

きちんと表面的に表層的に

認識したい。

スタート地点をすっ飛ばして

ゴールを目指すと、どうなるか。

 

他人なんて馬鹿ばかり。

他人なんて馬鹿ばかり。

 

まぁ、だからといって、

これを読んでくれてるあなたに

そう言いたいか?

そうは思わない(笑)

 

でも、これを読んでくれてるあなたは

僕にとっては他人である。

 

あなたという概念

他人という概念

 

概念とは何か?

概念との正しい付き合い方は?

どんな距離感で?

 

ほらまた

 

めんどくさくなってきたぁ(´・ω・`)

 

ま、こういうの好きだけど、

ブログでまとめるとなると、

相当書かないと。。。(´・ω・`)

 

話変えるか

 

かわいい女の子を見ると

いいなと思う。

 

でも、その女の子も、

朝起きてオナラしたら

 

めっちゃ臭い日があるのです!

 

その日1日、ずーっと超臭いかもしれない。

 

見た目はいつものようにかわいいけど

たまたまオナラが超臭い日が!

 

このオナラが臭い という情報を

加えた途端

分かりやすく言えば

 

軽い幻滅?

を経験させられる。

 

アイドルはトイレ情報を隠すし

ファンもそれを嫌うパターンの。

そういう幻想の構築と幻想の共有を

暗黙非明示の前提にした仮の関係性。

 

このオナラが臭い情報を加える

直前と直後の変化は何だ?

 

この情報を加えた途端に

僕がそれまでに無意識のうちに

感じていた、そのかわいい女の子そのものだと

思い込んでいたソレ。

ソレが崩れされた。

崩されたことによって、

僕は自己の無意識の思い込みを知った。

 

実像ではない、ソレを。

 

知覚した印象は相手を物理的に

正確に捉えたものではない。

 

だって、女の子でも、

おならをするのが、

肉体を持った人間としては自然。

最初から正確に知覚しているなら

オナラが臭い情報を加えても

軽い幻滅は起こらないはず。

 

だったら、オナラが臭い情報を加える直前まであった、アレは何だ?

 

 

以前こんなことをしてみた。

 

小学館の人体図鑑をみてから

町に出て、なんとなく目にとまった

そこそこかわいい女の子に

 

図鑑にあった骨格の絵を当てはめてみた。

 

要は女の子を頭の中で、骸骨化したのだ。

 

このあたりには、あごのオトガイ孔があるな。

頭頂骨、鎖骨など。

 

おっぱいを透視するとか

そういう話ではない(笑)

それをすっ飛ばして、骸骨化してみた。

 

僕はとても冷静になれた気がした。

 

だって、かわいい顔をしていても、

かわいい服装をしていても、

流行のヘアースタイルをしていても、

 

全部、全身ドクロなんだから。

 

良い香りの香水をつけてても

良い香りのする骸骨なんだから。

 

しかし一方で、かわいいという知覚印象への

執着というか、やはりその味が欲しいとも

思った。

 

ついでに書くと

 

意味という言葉は

意味があるとかないとか

そういう使われ方が通例だが。

 

そんなことして、意味あるの?的な。

日常生活でのある生き方が、利口か馬鹿か、

という判断基準としての使われ方。

 

だが、字義通りに、意(こころ)の味でも

あると思う。女の子をかわいく感じるというのも、かわいく思う意(こころ)の味。

 

僕もある程度年齢を重ねたので

女の子への幻滅は楽しめるようには

なっていると思う。

 

しかし、自分の人生への幻滅となると

そう簡単にはいかない。執着から離れ、

足るを知る境地など、まだまだのような

気がしている。

 

希望を失うのでもなく、

絶望するのでもなく。

 

太陽のようにギラギラしてなくていい。

暗闇に浮かぶ月のような、その光を辿りながら

己の希望に寄り添いながら、歩いて行けるだろうか。

 

 

客我としての自分ではなく

主我としての自分を。

 

ほらなぁ(´・ω・`)

コレ、客我とか主我とか。

たしか、社会学者のGHミードの概念。

 

こういうの、いちいち注釈付けてたら

キリないねんなぁ(´・ω・`)

 

出典をちゃんと示したいから

とりあえず、amazon貼りたいけどな。

手間かかり過ぎる。

 

(; ・`д・´)簡単にだけ説明しとこ。

    人が読むわけやし。

 

人は社会の期待を取り込む。誰かから、

「その服似合ってるね」と言われれば

嬉しくなるし、「その服似合ってないよ」って言われたら、悲しくなるし、着るのをやめるかもしれない。他人からの評価。それを取り込みながら、それに合うように振る舞う。コレが客我。ミードは自我を客我と主我に分けて考えた。これの逆が、主我。上手く説明できないけど、少なくとも、客我ではないという意味で、主我。周りの価値観を優位に、それに合わせて、自己を形作っていくみたいな感じかな。クリスマスに恋人いないだから寂しい劣ってる気がする。可哀想に思われてる、とか。こういうのも、客我優位になるかな。

 

 

他人なんて馬鹿ばかり。

他人の人生なんて楽そう。

 

こういう気持ち、失いたくない。

こういう気持ち、失いたくない。

 

ありがとうだけ言ってれば

幸せになれるという社会の偏見に

ドロップキック!

 

似非ヒューマニズム

殺されないために

生きるための

ドロップキックを!

 

(´・ω・`)ミスチルや。

なんとかにードロップキック!

曲名忘れた。